創建1250年記念「奈良 西大寺」展 叡尊と一門の名宝

【東京展】三井記念美術館 2017年4月15日(土)〜6月11日(日)

【大阪展】あべのハルカス美術館 2017年7月29日(土)〜9月24日(日)

【山口展】山口県立美術館 2017年10月20日(金)〜12月10日(日)

チケット情報

第1章西大寺の創建

奈良、平安期の至宝
「塔本四仏坐像」と「十二天像」

西大寺の創建は天平神護元年(765)。光明皇太后の信任を得て淳仁天皇を擁立し権力を握った藤原仲麻呂と孝謙上皇との抗争(恵美押勝の乱)鎮定を祈願して、称徳天皇(孝謙上皇重祚【ちょうそ】)が造営を始めました。
乱の鎮定後、今度は、僧道鏡が天皇の寵愛を受けて権力を握り、皇位を狙いますが失脚。政情は大いに動揺し、やがて都は長岡京を経て平安京に移っていきます。
西大寺は、鎮護国家仏教として栄えた南都六宗の都、平城京最後のきらめきとして残されることになりました。

  • 「釈迦如来坐像」「釈迦如来坐像」
  • 「阿弥陀如来坐像」「阿弥陀如来坐像」
重要文化財
「塔本(とうほん)四仏坐像」のうち
「釈迦如来坐像」「阿弥陀如来坐像」

西大寺には創建後間もなく東塔・西塔の2基の塔が建てられました。この4軀の如来坐像は、そのいずれかの塔の初層(1階)に安置されたと伝えられています。奈良時代後期を中心に流行する木心乾漆(もくしんかんしつ)の技法により制作されています。西大寺創建に近い時期までさかのぼり、4軀まとまって伝わる貴重な仏像です。各像の名称は後世のものと考えられます。

  • 「閻魔天像」「閻魔天像」
  • 「火天像」「火天像」
  • 「帝釈天像」「帝釈天像」
  • 「水天像」「水天像」
国宝
「十二天像」のうち「閻魔天像」「火天像」「帝釈天像」「水天像」
(奈良・西大寺)

十二天像は密教の修法道場を守護する護法神です。1幅に1尊ずつ脇侍とともに画面いっぱいに描かれています。この画像の当初の伝来は不明ですが、おおらかな趣をたたえ、制作は9世紀までさかのぼると考えられます。十二天画像としては、現存最古の作例であり、12幅完存していることも非常に貴重です。
※会期中、5月14日(日)までは「帝釈天像」「火天像」を展示し、後期5月16日(火)からは「閻魔天像」「水天像」に展示替えをいたします。

第2章叡尊をめぐる信仰の美術

国宝新指定の「興正菩薩坐像」と
秘仏「愛染明王坐像」が揃って出陳

都が平安京に移された後、奈良の寺社は苦難の時代を迎え、創建直後にバックボーンを失った西大寺の状況は深刻でしたが、鎌倉時代に中興の祖、興正菩薩叡尊(えいそん)が登場します。
若くして真言密教を学んだ叡尊は西大寺に入り、寺を伝統的な律宗の教えと密教を組み合わせた「密・律兼修の道場」としました。
僧侶や市民の集う「光明真言会」を創始、救済事業を進めるなど精力的に活動し、その教えは大いに広まりました。
叡尊はそのかたわら、愛染明王坐像や本尊釈迦如来立像、大黒天立像などの造立を発願し、「大茶盛」を始めるなど、西大寺独特の文化をつくり上げました。

「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)
国宝
「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)
「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)
重要文化財
「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)

愛染堂の秘仏本尊であり、現在も美しい彩色を留めています。宝治元年(1247)叡尊と弟子たちは、西大寺に三宝(仏・法・僧)が永く伝えられることを求めて発願・結縁し、仏師善円(善慶と同一人物)が造立しました。この年は叡尊が僧堂を造営した年に当たり、当初は叡尊が三宝久住の強い願いをこめて僧堂に安置したと考えられています。

「文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺)
重要文化財
「文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺)

この形式の五尊像は、中国五台山の文殊信仰に基づくもので、渡海文殊として鎌倉時代に多く制作されました。叡尊は文殊信仰に基づき多くの民衆救済の事業を行っており、文殊菩薩像も造像しています。この像は叡尊の没後弟子たちが発願して造像されたもので、叡尊の十三回忌に完成し、文殊堂の本尊とされました。現在は本堂西脇間に安置されています。
※東京展は「文殊菩薩坐像」「善財童子立像」「最勝老人立像」を展示します。

「聖徳太子立像(孝養像)」 (奈良・元興寺)
重要文化財
「聖徳太子立像(孝養像)」 (奈良・元興寺)

聖徳太子が16歳のとき父・用明天皇の病気平癒を祈る姿を表しています。叡尊は聖徳太子を救世観音あるいは如意輪観音の化身として篤く信仰していました。この像は文永5年(1268)5千名近い人々が結縁して、仏師善春らにより造立されました。結縁者の中には叡尊の弟子も多く、叡尊による太子信仰の広まりを物語っています。

第3章真言律宗の発展と一門の名宝

浄瑠璃寺の秘仏
「吉祥天立像」を特別公開

叡尊の教えは全国各地の多くの寺院にも広がっていきました。東国では、叡尊のもとで学んだ忍性が鎌倉を拠点として貧民救済など社会福祉事業や道路・橋梁(きょうりょう)の建設などに尽力し、鎌倉幕府の要人から庶民まで広く信仰を集めました。
畿内や西国でも叡尊に連なる律僧たちが寺院の復興や社会事業に従事し、江戸時代には奈良・生駒に宝山寺を興した湛海(たんかい)らが活躍。
明治期に入ると廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や宗教統制の荒波にさらされますが、教義を貫き法灯を守りました。
現在、真言律宗には元興寺、浄瑠璃寺、岩船寺、不退寺、海龍王寺、般若寺、白毫寺、宝山寺など、関西を中心に多くの名刹が名を連ねます。

「吉祥天立像」(京都・浄瑠璃寺)
重要文化財「吉祥天立像」(京都・浄瑠璃寺)

吉祥天は奈良時代以来、「吉祥悔過(けか)」という法要の本尊として祀られてきました。普段は本堂厨子のなかに秘仏として安置され、美しい彩色を今に伝えています。ふくよかな容姿、繧繝(うんげん)彩色の文様を施された衣、風をはらんだ袖など薬師寺所蔵の吉祥天画像(8世紀)に通じる天平美人を彷彿とさせます。建暦2年(1212)の造立。
「吉祥天立像」は6月6日(火)〜6月11日(日)の展示となります。

「太山王坐像」(奈良・白毫寺)
重要文化財
「太山王坐像」(奈良・白毫寺)
「不空羂索観音坐像」(奈良・不空院)
重要文化財
「不空羂索観音坐像」(奈良・不空院)
「普賢菩薩騎象像」(京都・岩船寺)
重要文化財
「普賢菩薩騎象像」(京都・岩船寺)
「忍性菩薩坐像」 (神奈川・極楽寺)
「忍性菩薩坐像」 (神奈川・極楽寺)

叡尊の弟子、忍性は民衆救済に尽力するとともに、鎌倉の極楽寺に住し、戒律復興の教えを東国に広め、根付かせました。

第1章西大寺の創建

奈良、平安期の至宝
「塔本四仏坐像」と「十二天像」

西大寺の創建は天平神護元年(765)。光明皇太后の信任を得て淳仁天皇を擁立し権力を握った藤原仲麻呂と孝謙上皇との抗争(恵美押勝の乱)鎮定を祈願して、称徳天皇(孝謙上皇重祚【ちょうそ】)が造営を始めました。
乱の鎮定後、今度は、僧道鏡が天皇の寵愛を受けて権力を握り、皇位を狙いますが失脚。政情は大いに動揺し、やがて都は長岡京を経て平安京に移っていきます。
西大寺は、鎮護国家仏教として栄えた南都六宗の都、平城京最後のきらめきとして残されることになりました。

  • 「阿閦如来坐像」「阿閦如来坐像」
  • 「宝生如来坐像」「宝生如来坐像」
  • 「阿弥陀如来坐像」「阿弥陀如来坐像」
  • 「釈迦如来坐像」「釈迦如来坐像」
重要文化財
「塔本(とうほん)四仏坐像」(奈良・西大寺)

西大寺には創建後間もなく東塔・西塔の2基の塔が建てられました。この4軀の如来坐像は、そのいずれかの塔の初層(1階)に安置されたと伝えられています。奈良時代後期を中心に流行する木心乾漆(もくしんかんしつ)の技法により制作されています。西大寺創建に近い時期までさかのぼり、4軀まとまって伝わる貴重な仏像です。各像の名称は後世のものと考えられます。大阪展では4軀揃って展示します。

「称徳天皇像」(奈良・西大寺)
「称徳天皇像」(奈良・西大寺)
「西大寺伽藍絵図」(奈良・西大寺)
重要文化財
「西大寺伽藍絵図」(奈良・西大寺)※「西大寺伽藍絵図」は前期[7月29日(土)〜8月27日(日)]の展示となります。
  • 「月天像」「月天像」
  • 「毘沙門天像」「毘沙門天像」
  • 「伊舎那天像」「伊舎那天像」
  • 「羅刹天像」「羅刹天像」
国宝
「十二天像」のうち「月天像」「毘沙門天像」「伊舎那天像」「羅刹天像」(奈良・西大寺)

十二天像は密教の修法道場を守護する護法神です。1幅に1尊ずつ脇侍とともに画面いっぱいに描かれています。この画像の当初の伝来は不明ですが、おおらかな趣をたたえ、制作は9世紀までさかのぼると考えられます。十二天画像としては、現存最古の作例であり、12幅完存していることも非常に貴重です。
※会期中、8月27日(日)までは「伊舎那天像」「羅刹天像」を展示し、後期8月29日(火)からは「月天像」「毘沙門天像」に展示替えをいたします。

第2章叡尊をめぐる信仰の美術

国宝新指定の「興正菩薩坐像」と
秘仏「愛染明王坐像」が揃って出陳

都が平安京に移された後、奈良の寺社は苦難の時代を迎え、創建直後にバックボーンを失った西大寺の状況は深刻でしたが、鎌倉時代に中興の祖、興正菩薩叡尊(えいそん)が登場します。
若くして真言密教を学んだ叡尊は西大寺に入り、寺を伝統的な律宗の教えと密教を組み合わせた「密・律兼修の道場」としました。
僧侶や市民の集う「光明真言会」を創始、救済事業を進めるなど精力的に活動し、その教えは大いに広まりました。
叡尊はそのかたわら、愛染明王坐像や本尊釈迦如来立像、大黒天立像などの造立を発願し、「大茶盛」を始めるなど、西大寺独特の文化をつくり上げました。

「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)
国宝
「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)
「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)
重要文化財
「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)

愛染堂の秘仏本尊であり、現在も美しい彩色を留めています。宝治元年(1247)叡尊と弟子たちは、西大寺に三宝(仏・法・僧)が永く伝えられることを求めて発願・結縁し、仏師善円(善慶と同一人物)が造立しました。この年は叡尊が僧堂を造営した年に当たり、当初は叡尊が三宝久住の強い願いをこめて僧堂に安置したと考えられています。
「愛染明王坐像」は後期[8月29日(火)〜9月24日(日)]の展示となります。

「金銅宝塔(壇塔)」(奈良・西大寺)
国宝
「金銅宝塔(壇塔)」(奈良・西大寺)

叡尊が感得した唐招提寺の舎利1粒などを納入し、霊宝として永く伝えるために、文永7年(1270)叡尊が自ら願主となって造立しました。

「釈迦如来立像」(奈良・西大寺)
重要文化財
「釈迦如来立像」(奈良・西大寺)

西大寺本堂の現在の本尊。三国伝来、生身釈迦像として信仰を集めていた京都・清涼寺の釈迦如来像は、釈迦の時代に戻って戒律復興を志す叡尊にとって特別の像でした。宝治2年(1248)、叡尊は数千名の結縁者を集めて発願し、翌年、仏師善慶(善円と同一人物)が清涼寺に赴き釈迦如来像を直接模刻したことが知られる貴重な作例です。

「聖徳太子立像(孝養像)」 (奈良・元興寺)
重要文化財
「聖徳太子立像(孝養像)」 (奈良・元興寺)

聖徳太子が16歳のとき父・用明天皇の病気平癒を祈る姿を表しています。叡尊は聖徳太子を救世観音あるいは如意輪観音の化身として篤く信仰していました。この像は文永5年(1268)5千名近い人々が結縁して、仏師善春らにより造立されました。結縁者の中には叡尊の弟子も多く、叡尊による太子信仰の広まりを物語っています。

「文殊菩薩騎獅像」(京都・大智寺)
寺外で初公開!
重要文化財
「文殊菩薩騎獅像」(京都・大智寺)

奈良時代に行基が木津川に架けた橋は流されていましたが、鎌倉時代に入り、川に残った橋柱で文殊菩薩像を造立したと伝えられています。蓮華座に座した文殊菩薩の纏った衣の造形に、宋風と言われる動きのある表現が用いられているため、安阿弥(快慶)作との寺伝もあります。※「文殊菩薩騎獅像」は7月29日(土)〜8月20日(日)の展示となります。

第3章真言律宗の発展と一門の名宝

各地へ広がった真言宗の教えと信仰のかたち
浄瑠璃寺の秘仏
「吉祥天立像」を特別公開

叡尊の教えは全国各地の多くの寺院にも広がっていきました。東国では、叡尊のもとで学んだ忍性が鎌倉を拠点として貧民救済など社会福祉事業や道路・橋梁(きょうりょう)の建設などに尽力し、鎌倉幕府の要人から庶民まで広く信仰を集めました。
畿内や西国でも叡尊に連なる律僧たちが寺院の復興や社会事業に従事し、江戸時代には奈良・生駒に宝山寺を興した湛海(たんかい)らが活躍。
明治期に入ると廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や宗教統制の荒波にさらされますが、教義を貫き法灯を守りました。
現在、真言律宗には元興寺、浄瑠璃寺、岩船寺、不退寺、海龍王寺、般若寺、白毫寺、宝山寺など、関西を中心に多くの名刹が名を連ねます。

「吉祥天立像」(京都・浄瑠璃寺)
重要文化財
「吉祥天立像」(京都・浄瑠璃寺)

吉祥天は奈良時代以来、「吉祥悔過(けか)」という法要の本尊として祀られてきました。普段は本堂厨子のなかに秘仏として安置され、美しい彩色を今に伝えています。ふくよかな容姿、繧繝(うんげん)彩色の文様を施された衣、風をはらんだ袖など薬師寺所蔵の吉祥天画像(8世紀)に通じる天平美人を彷彿とさせます。建暦2年(1212)の造立。
「吉祥天立像」は7月29日(土)〜8月6日(日)の展示となります。

360度から眺める秘仏吉祥天立像と吉祥天クイズ
「文殊菩薩騎獅像」(奈良・般若寺)
重要文化財
「文殊菩薩騎獅像」(奈良・般若寺)

元享4年(1324)後醍醐天皇の護持僧であった文観が発願し、仏師康俊、康成親子が造立しました。小像ながら意志の強い少年のような姿で、肌には彩色をせず、素地を生かして張りのある体軀を表現しています。この年、後醍醐天皇が倒幕を企て失敗した正中の変が起こるので、その成就を願って造立された可能性も指摘されています。

「五大明王像(厨子入)」(奈良・宝山寺)
重要文化財
「五大明王像(厨子入)」(奈良・宝山寺)

生駒聖天宝山寺の中興開山で、不動明王など仏教、仏画をよくしたことでも知られる湛海によって元禄14年(1701)造立されました。各20cmに満たない小像ですが、細部まで緻密に彫刻され、美しい彩色が施されていて、大きな像にも引けを取らない迫力があります。この年、湛海は73歳ですが、衰えを知らない力量を見せています。

「不空羂索観音坐像」(奈良・不空院)
重要文化財
「不空羂索観音坐像」(奈良・不空院)

「不空羂索観音坐像」は後期[8月29日(火)〜9月24日(日)]の展示となります。

「普賢菩薩騎象像」(京都・岩船寺)
重要文化財
「普賢菩薩騎象像」(京都・岩船寺)

「普賢菩薩騎象像」は前期[7月29日(土)〜8月27日(日)]の展示となります。

「不動明王二童子像」(大阪・松林寺)
「不動明王二童子像」(大阪・松林寺)

近畿地方では江戸時代に入ってからも、叡尊の流れを汲む律僧たちが宝山寺や松林寺など古寺の復興に尽力し、教えを広めました。

第1章西大寺の創建

奈良、平安期の至宝
「塔本四仏坐像」と「十二天像」

西大寺の創建は天平神護元年(765)。光明皇太后の信任を得て淳仁天皇を擁立し権力を握った藤原仲麻呂と孝謙上皇との抗争(恵美押勝の乱)鎮定を祈願して、称徳天皇(孝謙上皇重祚【ちょうそ】)が造営を始めました。
乱の鎮定後、今度は、僧道鏡が天皇の寵愛を受けて権力を握り、皇位を狙いますが失脚。政情は大いに動揺し、やがて都は長岡京を経て平安京に移っていきます。
西大寺は、鎮護国家仏教として栄えた南都六宗の都、平城京最後のきらめきとして残されることになりました。

  • 「阿閦如来坐像」「阿閦如来坐像」
  • 「宝生如来坐像」「宝生如来坐像」
重要文化財
「塔本(とうほん)四仏坐像」のうち
「阿閦如来坐像」「宝生如来坐像」(奈良・西大寺)

西大寺には創建後間もなく東塔・西塔の2基の塔が建てられました。この4軀の如来坐像は、そのいずれかの塔の初層(1階)に安置されたと伝えられています。奈良時代後期を中心に流行する木心乾漆(もくしんかんしつ)の技法により制作されています。西大寺創建に近い時期までさかのぼり、4軀まとまって伝わる貴重な仏像です。各像の名称は後世のものと考えられます。

  • 「風天」「風天」
  • 「梵天」「梵天」
  • 「地天」「地天」
  • 「日天」「日天」
国宝
「十二天像」のうち「風天」「梵天」「地天」「日天」
(奈良・西大寺)

十二天像は密教の修法道場を守護する護法神です。1幅に1尊ずつ脇侍とともに画面いっぱいに描かれています。この画像の当初の伝来は不明ですが、おおらかな趣をたたえ、制作は9世紀までさかのぼると考えられます。十二天画像としては、現存最古の作例であり、12幅完存していることも非常に貴重です。
※会期中、11月12日(日)までは「風天」「梵天」を展示し、11月14日(火)からは「地天」「日天」に展示替えをいたします。

第2章叡尊をめぐる信仰の美術

国宝新指定の「興正菩薩坐像」と
秘仏「愛染明王坐像」が揃って出陳

都が平安京に移された後、奈良の寺社は苦難の時代を迎え、創建直後にバックボーンを失った西大寺の状況は深刻でしたが、鎌倉時代に中興の祖、興正菩薩叡尊(えいそん)が登場します。
若くして真言密教を学んだ叡尊は西大寺に入り、寺を伝統的な律宗の教えと密教を組み合わせた「密・律兼修の道場」としました。
僧侶や市民の集う「光明真言会」を創始、救済事業を進めるなど精力的に活動し、その教えは大いに広まりました。
叡尊はそのかたわら、愛染明王坐像や本尊釈迦如来立像、大黒天立像などの造立を発願し、「大茶盛」を始めるなど、西大寺独特の文化をつくり上げました。

「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)
国宝
「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)
「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)
重要文化財
「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)

愛染堂の秘仏本尊であり、現在も美しい彩色を留めています。宝治元年(1247)叡尊と弟子たちは、西大寺に三宝(仏・法・僧)が永く伝えられることを求めて発願・結縁し、仏師善円(善慶と同一人物)が造立しました。この年は叡尊が僧堂を造営した年に当たり、当初は叡尊が三宝久住の強い願いをこめて僧堂に安置したと考えられています。「愛染明王坐像」は11月21日(火)〜12月10日(日)の展示となります。

「文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺)
重要文化財
「文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺)

この形式の五尊像は、中国五台山の文殊信仰に基づくもので、渡海文殊として鎌倉時代に多く制作されました。叡尊は文殊信仰に基づき多くの民衆救済の事業を行っており、文殊菩薩像も造像しています。この像は叡尊の没後弟子たちが発願して造像されたもので、叡尊の十三回忌に完成し、文殊堂の本尊とされました。現在は本堂西脇間に安置されています。
※山口展は「文殊菩薩坐像」「善財童子立像」「最勝老人立像」を展示します。

「釈迦如来立像」(奈良・西大寺)
重要文化財
「釈迦如来立像」(奈良・西大寺)

西大寺本堂の現在の本尊。三国伝来、生身釈迦像として信仰を集めていた京都・清涼寺の釈迦如来像は、釈迦の時代に戻って戒律復興を志す叡尊にとって特別の像でした。宝治2年(1248)、叡尊は数千名の結縁者を集めて発願し、翌年、仏師善慶(善円と同一人物)が清涼寺に赴き釈迦如来像を直接模刻したことが知られる貴重な作例です。

「金銅透彫舎利容器」(奈良・西大寺)
国宝
「金銅透彫舎利容器」(奈良・西大寺)

第3章真言律宗の発展と一門の名宝

各地へ広がった真言律宗の教えと
信仰のかたち

叡尊の教えは全国各地の多くの寺院にも広がっていきました。東国では、叡尊のもとで学んだ忍性が鎌倉を拠点として貧民救済など社会福祉事業や道路・橋梁(きょうりょう)の建設などに尽力し、鎌倉幕府の要人から庶民まで広く信仰を集めました。
畿内や西国でも叡尊に連なる律僧たちが寺院の復興や社会事業に従事し、江戸時代には奈良・生駒に宝山寺を興した湛海(たんかい)らが活躍。
明治期に入ると廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や宗教統制の荒波にさらされますが、教義を貫き法灯を守りました。
現在、真言律宗には元興寺、浄瑠璃寺、岩船寺、不退寺、海龍王寺、般若寺、白毫寺、宝山寺など、関西を中心に多くの名刹が名を連ねます。
山口会場では、中国・九州地方の西大寺と縁の深い寺院の名宝により、真言律宗の西国への広がりについて紹介します。

「文殊菩薩騎獅像」(京都・大智寺)
重要文化財「文殊菩薩騎獅像」(奈良・般若寺)

元享4年(1324)後醍醐天皇の護持僧であった文観が発願し、仏師康俊、康成親子が造立しました。小像ながら意志の強い少年のような姿で、肌には彩色をせず、素地を生かして張りのある体軀を表現しています。この年、後醍醐天皇が倒幕を企て失敗した正中の変が起こるので、その成就を願って造立された可能性も指摘されています。
「文殊菩薩騎獅像」は11月21日(火)〜12月10日(日)の展示となります。

「太山王坐像」(奈良・白毫寺)
重要文化財
「太山王坐像」(奈良・白毫寺)
「聖徳太子立像(摂政太子像)」(広島・浄土寺)
重要文化財
「聖徳太子立像(摂政太子像)」(広島・浄土寺)
「十二天曼荼羅図」(山口・長門国分寺)
重要文化財
「十二天曼荼羅図」(山口・長門国分寺)
「忍性菩薩坐像」 (神奈川・極楽寺)
重要文化財
「釈迦如来坐像」 (佐賀・東妙寺)

東妙寺は弘安の元寇に際し、敵国退散の祈祷のため後宇多天皇の勅により西大寺の唯円が開きました。このように叡尊の流派は西国にも広がっていきます。

画像提供:奈良国立博物館
重要文化財「塔本四仏坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
国宝「十二天像」のうち「閻魔天像」「火天像」「帝釈天像」「水天像」(奈良・西大寺)……撮影:佐々木香輔
国宝「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「聖徳太子立像(孝養像)」 (奈良・元興寺)……撮影:佐々木香輔
重要文化財「吉祥天立像」(京都・浄瑠璃寺)……撮影:佐々木香輔
重要文化財「太山王坐像」(奈良・白毫寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「不空羂索観音坐像」(奈良・不空院)……撮影:森村 欣司
重要文化財「普賢菩薩騎象像」(京都・岩船寺)……撮影:森村 欣司
画像提供:飛鳥園
重要文化財「文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺)……撮影:飛鳥園
画像提供:奈良国立博物館
重要文化財「塔本四仏坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
「称徳天皇像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「西大寺伽藍絵図」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
国宝「十二天像」のうち「月天」「毘沙門天」「伊那舎天」(奈良・西大寺)(奈良・西大寺)……撮影:佐々木香輔
国宝「十二天像」のうち「羅刹天」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
国宝「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
国宝「金銅宝塔(壇塔)」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「釈迦如来立像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「聖徳太子立像(孝養像)」 (奈良・元興寺)……撮影:佐々木香輔
重要文化財「吉祥天立像」(京都・浄瑠璃寺)……撮影:佐々木香輔
重要文化財「文殊菩薩騎獅像」(奈良・般若寺)……撮影:佐々木香輔
重要文化財「五大明王像(厨子入)」(奈良・宝山寺)(奈良・白毫寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「不空羂索観音坐像」(奈良・不空院)……撮影:森村 欣司
重要文化財「普賢菩薩騎象像」(京都・岩船寺)……撮影:森村 欣司
画像提供:飛鳥園
「不動明王二童子像」(大阪・松林寺)……撮影:飛鳥園
画像提供:奈良国立博物館
重要文化財「塔本四仏坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
国宝「十二天像」のうち「風天」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
国宝「十二天像」のうち「梵天」「地天」「日天」(奈良・西大寺)……撮影:佐々木香輔
国宝「興正菩薩坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「愛染明王坐像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
重要文化財「釈迦如来立像」(奈良・西大寺)……撮影:森村 欣司
国宝「金銅透彫舎利容器」(奈良・西大寺)……撮影:佐々木香輔
重要文化財「文殊菩薩騎獅像」(奈良・般若寺)……撮影:佐々木香輔
重要文化財「太山王坐像」(奈良・白毫寺)……撮影:森村 欣司
画像提供:飛鳥園
重要文化財「文殊菩薩騎獅像及び四侍者像」(奈良・西大寺)……撮影:飛鳥園
画像提供:大阪市立美術館
重要文化財「聖徳太子立像(摂政太子像)」(広島・浄土寺)
画像提供:佐賀県立博物館
重要文化財「釈迦如来坐像」(佐賀・東妙寺)
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